無職同棲カップル
(前回の続き)糸島から体一つで上京して、辻の実家へ転がり込んだ野枝。しかし、人妻である教え子との同棲生活などは教師として許されるものではありませんでした。結局、辻はこの事件により教師の職を失います。
仕事より野枝を選び、責任を取って辞めたようで少し恰好良く見えますが、元々働く事が嫌いで辞める口実ができて好都合だったようです。辻は野枝との間に二人の子供ができますが、以後も自称ダダイストとして定職に就くことはありませんでした。
青鞜と「新しい女」達
辻が働かないなら野枝が働くしかありません。辻の勧めで女性解放運動を展開していた平塚らいてうに手紙を出し、彼女が主催する青鞜社へ出入りするようになりました。
平塚らいてうは高級官僚の娘として育った生粋のお嬢様でした。しかし封建的な男性社会に反発し、女性による女性のための『青鞜』という雑誌を発刊します。特に創刊にあたり発表された以下の文は、後の女性運動を象徴する言葉になりました。
元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に寄って生き、他の光によって輝く病人のような蒼白い顔の月である。私共は隠されて仕舞った我が太陽を今や取戻さねばならぬ。
青鞜 – わたくしの歩いた道
『青鞜』は進歩的な女性からは大歓迎され、彼女の元に続々と「新しい女」達が集まります。国木田治子・与謝野晶子・長谷川時雨 他、進歩的な考えの女性達との交流は、野枝に多大な影響を与えました。
野枝は青鞜社に入社することで、文筆家としての才能を開花させ、貞操論・堕胎論・廃娼論など、刺激的で論争を巻き起こす文を多数発表しました。
ああ、習俗打破! 習俗打破! それより他には私たちのすくわれる途(みち)はない。呪(のろ)い封じ込まれたるいたましい婦人の生活よ! 私たちはいつまでもいつまでもじっと耐えてはいられない。やがて──、やがて──。
青鞜 第五巻第二号
青鞜 編集長就任
しばらく精力的に活動していた青鞜でしたが、編集長のらいてうが年下の画家・奥村博史と同棲生活をはじめ、長女・曙生を出産すると多忙を極め、業務が滞りがちになりました。男に走ったらいてうに憤慨する野枝は、ちゃんとできないのなら「青鞜」を自分に任せて欲しいと手紙をだします。
心身ともに疲労していたらいてうは了承、野枝は若干二十歳の若さで編集長に就任します。この時野枝は「自分に任せるなら一切口を出すな」と釘を刺しています。このエピソードからしても、気の強い野枝の一面が伺えますね。
野枝が編集長になると、青踏はこれまでの文芸誌路線から脱却し、野枝好みの刺激的な論評を取り上げる評論誌としての性格が強くなります。「無主義、無規則、無方針」を掲げ、上流階級だけではなく幅広い層へ誌面を解放しました。
平塚らいてうからみた伊藤野枝
結局、社会経験のない野枝を拾ってくれたらいてうには、恩を仇で返す形になってしまいました。
元々、糸島の貧困家庭に育った野枝とお嬢様育ちのらいてうはソリが合わなかったようです。後年、野枝が引き継いだ青踏について、次のように語っています。
従って今日これらのものを読んで見ますと、いかにも彼女自身の性格を露骨に現はした、痛快と言えば至って痛快なものには相違ありませんが、あまりに過度な反発的情熱のために、相手の言葉を否定することのみ急いで、ともすれば単なる罵言のための罵言や、悪意的な、言葉の上の矛盾の指摘や、あげ足とりに堕した様な無内容や、上調子な部分が徒らに多くを占めてゐるため全体として非常に反省的態度を欠いたものに見えるばかりか、残念なことには肝心な彼女自身の積極的な考へやその主義主張が殆どどこにも語られて居りませんので一見非常に奮闘的態度のやうに見えながら、その実卑怯なものになって仕舞ってゐるのが多いやうにも思われます。そしてそのため彼女の折角の奮闘もたとへ非難者の若しくは誤解者の口を一時減らすことは出来たとしても、「単なる罵言や情熱は何ものをも産まない」といぬ言葉の如く、何の効果も持ち来さないものであったやうに思はれます。
女性の言葉 – 伊藤野枝さんの歩いた道
やはり、半ば乗っ取りのような形で雑誌を奪われたので、文面から怒りが伝わってきますね。このように野枝は攻撃的で直情的な行動から、同じ活動家ともトラブルを起こす事がしばしばありました。(続く)