肥前との藩境にある筑前最後の宿場

飯場宿 跡にやってきました。筑前と肥前の境に位置し、現在は早良区ですがかつては怡土郡に属していた村です。

今回は宿場の東側から西側へ抜けてみたいと思います。入口は曲渕小入口と書かれた交差点。有名な地鶏食堂の近くですね。

そのまま西へ向かって進むと集落がみえてきました。

集落の中は特にお店などはなく、民家やお寺しかありません。

集落の中を川が一本走っています。ダムがある事からわかるように、この辺は水が豊富です。

この辺のお宅は宿場町時代から続いていそうです。

そして、邸宅の前には小川が流れています。

昔は集落の生活用水として使われていたのかもしれません。

邸宅の前には3段の石垣が。もしかしたら使わなくなった棚田跡でしょうか?

この大きなお屋敷の辺りから、この先のお寺辺りがかつてのメインストリートっぽいです。

貝原益軒もこの村に関しては、かなり詳細な記録を残しています。

飯場村
飯場は早良郡金武より一里半長坂を越行、深谷のに在る村也。 又當郡河原村より飯場へ越る道有。其間三十二間有。 其峠を、むしぶくと云う。此村は谷の中狭くして田畠少し。 村民毎日薪芒を福岡に持出て賣る。此谷の下の入口 は早良郡内野、其上は石竃、其上は曲淵、其上は此村也。 下の三村は早良郡也。 飯場も同じ谷の上にあれ共、怡土郡に属せり。此村は曲淵の少上に在。 飯場村の前なる谷水は、水無より出る谷水には非ず。飯場の三町下、曲淵の 上に西南より流出る谷川有。是水無より出る川也。其川上八町に野河内村有。 是飯場の枝村也。是又地高し。其西半里餘を上りて水無有。其間路けはし。 水の流れは急流にて瀧多し。水無の方甚高ければ也。此村より肥前の境迄一里、 肥前の三瀬へ三里有。佐賀へ行く道也。

筑前国続風土記 巻之二十二

ところで、この家の前に乗り合いタクシーの停留所が。最初はバス停かと思いましたが、しかし西鉄バスの路線はここまでは届いていないようです。

道のつきあたりに庚申様がいらっしゃいました、こちらは宿場の頃から変わってなさそうです。

この集落の中心ともいってよい真教寺がみえてきました。

お寺のある場所は少し高台になっているようです。振り返ると緩やかな傾斜がわかります。

飯場宿 真教寺

さて、宿場の中に寺領がある真教寺です。宿場の住人に檀家さんが多そうですね。

お寺の鐘がなぜかお寺の外にあります。もしかしたらかつては、お寺の敷地がもっと広かったのかも。

現在はお寺の前には公園や運動広場などがありました。

では、糸島峠方面の出口へ向かいましょう。

綺麗な棚田ですね。寒暖差があり、そして水がとても綺麗な地域なので、美味しいお米がとれそう。

少し歩いただけですが、しかし素朴な里山の魅力に触れる事ができました。

最後に、西側の集落入口になる糸島峠との接続部で終了です。

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