加藤清正が島津への備えに築いた山城

天気が良かったので、ちょっと佐敷城跡に行ってきました。
佐敷城は加藤清正によって1588年に築城された山城です。標高87・3mの花岡山に築かれたことから佐敷花岡城とも呼ばれています。

近くに駐車場があるので、そこまで車で行けます。

ここに駐車できます。トイレもありました。

駐車場の案内板にあった佐敷城跡全景。本丸、二の丸、三の丸と段々になっています。

駐車場から見る佐敷城跡。案内板と同じく、城の輪郭がハッキリと分かりますね。

登山口から登っていきます。

5分も歩くと石垣が見えてきました。楽ちん楽ちん。

搦め手口です

本丸西口です

西口からの眺め

さらに登ります

通路です

通路にある石段を登ると、、、

本丸に到着です

芦北町が一望できます

一端、搦め手口まで戻って二の丸へ

二の丸へ続く階段が見えてきました

登る

二の丸。本丸より広いです

二の丸から見た本丸

そして三の丸へ、、、

写真中央が三の丸です。めんどくさいので行きませんでした。地図のとおり、本丸、二の丸、三の丸と段々になっているのが確認できました。

大手門

断崖の上に立つ要塞といった感じで、堅固な山城であったことが想像できます。さすが清正が薩摩の島津氏への守りとして築いただけありますね。実際に佐敷城では島津氏との攻防が繰り広げられました。

散策してみて石垣が立派に残っているなと思ったのですが、実はこれは1997年から石垣の復元が行われたことによるものだとか。佐敷城は1615年の一国一城令により廃城となり井垣は破壊されました。さらに島原の乱後も石垣の破却が不十分として、再度取り壊されています。農民が立て籠もるのを防ぐためだったんですね。石垣が破壊された痕跡も確認できます。佐敷城跡おすすめです。

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