博多にも存在した神宮系のお社

川端大神宮 は川端通り商店街のすぐ近くに鎮座する、大社系のお社です。

冷泉公園の向かいにある消防署の横には、大神宮横丁と呼ばれる小さな通りがあります。

実は、この小さな通りの途中に川端大神宮が鎮座されています。元々、この場所には桜田屋長野家という、黒田藩の支藩である直方藩出身の大きな酒造家がありました。

桜田屋長野家は、享保の大飢饉の折には、私財を放出して難民の救済を行った地元の名家でした。

そしてある日、黒田藩からの依頼で旅人問屋も営んでいた長野家の向かいに、伊勢神宮の神官が宿泊します。この時の縁で、伊勢大神宮より勧請して自宅の一角に祭祀したものが、この川端大神宮です。

こじんまりとしたスペースですが、しかし手水鉢も完備しています。

川端大神宮 社殿

こちらが川端大神宮の社殿。昔はもっと大きな社殿だったようですが、時代と共にコンパクトになったのでしょう。それでも綺麗に手入れされています。

また、後に商売繁盛の守護神として京都伏見より稲荷神社も末社として勧請しています。

筑前国続風土記拾遺によると、当時の様子を伝える記述があります。

〇大神宮社
伊勢下宮御師高向二郎大夫旅宿なり。享保年中火災にかかりし後、文化六年再造せり。今の御社是也。富社内に丸キ石あり。此石先年川の中に有て、此石に触れハ必祟り有り。時によりてハ夜中此石より火出る事あり。近辺の者恐れをなし、此石を清め社内に入れ、垣を結ひ、人の障らぬ様にせり。此石に諸願を立れは、霊應有りと里民の云傳也。
此町に又一と云孝子有。天明八年府廷より御褒詞を蒙れり。伊勢吉と云孝子有。寛政元年御褒詞をうけり。

筑前国続風土記拾遺巻之五 新川端町上

要約すると、川から拾った石なども祀ってあったようです。しかし、現在は石は見当たりませんでした。それにしても触ると祟られる石とは、ちょっと怖いですね。

神宮の近隣は商店街などが整備されて大きく様変わりしました。その結果、今の形に落ち着いたようです。

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