延喜式神名帳にも記載された糸島唯一の式内社

志登神社は糸島の総鎮守といわれる、糸島で唯一の由緒正しい式内社です。

看板にも「筑前国十九社の一社」と誇らしげに書かれていますね。十九社というのは、延長5年(927)にまとめられた『延喜式神名帳』に記載された事を指しています。

延喜式神名帳は、簡単に言うと神社の社格についてまとめてある台帳です。

糸島では志登神社だけが指定されています。つまり糸島で最も社格の高い神社という事になります。

さて、参道を進んでお参りしましょう。この綺麗な直線の参道は、実は冬至の日には鳥居の中に夕日が入り、輝く光の道が現れます。

立派な黒石に彫られた碑文。平成二十八年に再建されたのでしょうか?

こちらは志登神社の歴史について書かれています。黒田家の崇敬を受けていたようですね。しかし、室町時代以前の記録は戦乱で焼けてしまい、創建時期は分からないようです。

御祭神は豊玉姫命。海神の娘で、初代・神武天皇の父方の祖母、母方の伯母にあたります。実は、「浦島太郎」の乙姫のモデルになった女神様です。

龍宮で身籠った豊玉姫命が、陸に上がった場所が志登神社といわれています。近くには豊玉姫命が髪を梳った地とされる岩鏡や、鏡掛松、拝松、古宮、玉ノ井など古跡が存在します。

その為、中世の頃から中央政府にも認められていた、志摩郡で最も有力な神社でした。

志登神社 社殿

さて、お参りしましょう。拝殿は2014年に建て替えられているので、まだ綺麗ですね。

良縁・招福・子孫繁栄・出世などにご利益のある神様なので、念入りに祈願します。

黒田家の崇敬を受けていただけあり、筑前国続風土記でも2頁に渡り詳細な記載がみられます。ここでは、筑前国続風土記拾遺の記事を転載します。

志登神社
祭る所豊玉姫命・神功皇后・高良明神・高祖明神四座也。年毎に五月十九日より六月二日まで近郷の農民苗をたつさへて詣る事あり。苗護滋の祭といふ。社内に大神宮・若宮明神・祇園神・弁財天堂 観音堂・浅草観音堂あり。又神社の西五町斗和泉川の傍に古松あり。拝松といふ。行人遥拝せり。ゆへに此名ありとそ。昔の木は枯て今の松ハ植維たる也。神社の巽田の中に松一株あり。是を岩神といふ。神名詳ならす。又乾一町斗田の中に森あり。小宮といふ。

筑前国続風土記拾遺巻之四十五 志摩郡 下 志登村