軍港建設の礎となった職工たち
天気が良かったので、ちょっと役夫死者の碑に行ってきました。
大日本帝国海軍の根拠地として佐世保湾に面した佐世保村に鎮守府を開くことを決定し、1887年1月から建設工事が開始されました。工事は付近の金比羅山を切り崩して海を埋め立てる大規模なもので、41人の作業員が命を落としました。
役夫死者の碑は、この作業で殉職した41人の慰霊・顕彰のため1888年6月に村の有志たちによって建立されたものです。当時流行した数え唄には、「五つとせ岩にかけたる地雷火で、怪我人死人が数知れぬ・・・」などと唄われており、いかに危険な工事であったかが伺えます。
佐世保鎮守府の跡地は現在、海上自衛隊佐世保地方総監部が置かれています。
隣には観音像がありました。