創建は神代と伝わる彦火火出見尊 (山幸彦)の宮殿跡

鹿児島神宮 にやってきました。大隅国一の宮、そして旧社格は官幣大社でした。非常に高い社格で「神宮」を名乗る事を許されている神社です。

最初に境内の周りに用水路があり、年代物の石橋が架かっていました。建築年代は18世紀~19世紀頃のようです。

また、この用水路は地元では「宮内原用水路」と呼ばれており、享保元年(1716)に完成したそうです。

次に境内への長い石段の途中に、左右2つの社が建っています。こちらは御門神社です。

そして石段を登りきると、社務所と樹齢800年とされる御神木の大きなクスノキがお出迎えしてくれます。

クスノキの前には、雨之社(あめのやしろ)が配置されています。

鹿児島神宮 雨之社

御祭神は豊玉比売命(とよたまひめのみこと)です。

豊玉比売命は童話・浦島太郎の乙姫様のモデルになった神様ですね。また、浦島太郎のモデルになった夫の彦火火出見尊 (ひこほほでみのみこと) もこちらの神社に祀られています。

主祭神が浦島太郎のモデルということで、境内にはこのような石もあります。

実は古くは大隅正八幡とも呼ばれており、鹿児島神宮は八幡宮の根本社だともいわれていました。また宇佐八幡との争いにも発展して、宇佐八幡の手勢により社が焼失し、その神罰で宇佐八幡の使者13名が亡くなった言い伝えもあります。

最後に13名が倒れた所に塚を盛り、霊を慰めた場所は十三塚原と呼ばれました。現在でも霧島市内にその地名が残っています。