大友氏による志摩郡支配の拠点となった城
福岡市西区今津の柑子岳城跡に行ってきました。
標高254mの柑子岳に築かれた山城で築城時期は不明だそうです。大内氏の居城でしたが大友氏が奪い、永禄年間(1558~1570)に大友宗麟が改築しました。筑前國風土記の巻23にも「永祿年中大友宗麟より、富郡小金丸の親山と、柑子岳に城を築き、(中略)宗麟の一族、臼杵新助鐘廣と云者を置く」と書かれています。
以後、高祖山城主の原田氏と激闘を繰り広げます。1572年の原田氏との池田川原合戦に敗れた時の城代・ 臼杵進士兵衛鎮は自刃。臼杵鑑続が城代となります。1579年の生松原合戦で大友方が敗れると立花山城に退いて、廃城となったそうです。
前回、立花山の傾斜の大きさに苦戦しましたが、この柑子岳は、それをはるかに凌駕していました。
踏み台が無ければ途中で断念していたと思います。
40分ほど進むと山頂に到着しました。ここが本丸で、上ノ城と呼ばれています。
柑子岳城は山頂の上ノ城と尾根上を利用した下ノ城で構成されていました。
山頂から5分ほど下ると下ノ城に到着。