中国の船が多数寄港した港の鎮守

登志神社へやってきました。かつて今津は、「登志郷(としごう)」と呼ばれていて、港には大陸からの船が多数寄港する場所でした。

地名が社名になっているこちらのお社は、登志の湊の鎮守のため祀られたものです。

参道横には使われていない空き地があります、祭事の時などに利用するのかな?

登志神社の御由緒です。市指定無形民俗文化財に指定されている今津の十一日松囃子が紹介されています。

それでは参拝に向かいましょう。ところで参道は途中で左折・右折する珍しいパターンになっています。

こちらにも由緒書き。神社の創建に関する事や御祭神が記載されています。しかし、創建が桓武天皇の頃となると、相当歴史が古いお社ですね。

途中にある手水舎。ただ、現在使われていないようです。

そして本殿へ続く鳥居です。おや?奥にブルーシートがみえていますね。

登志神社 社殿 ※改装中

さて、境内に到着しました。しかし、本殿は残念ながら改修工事中のようです。

どうやら年末まで工事が続くようですね、改めてまた来ましょう。

境内社はそのままですが、神様の名前は分かりませんでした。

筑前国続風土記拾遺に、こちらの神社の記載があるのですが、誤植なのか神社の名前が微妙に異なり、登志ではなく志登になっています。内容からこちらの神社に間違いないのですが、青柳先生の間違いかもしれません。

志登大明神社
産神也。本編にいつれの神を祭るといふ事をしらすとあり。今祠官は中筒男命・豊受大神・八幡大神三座を祀るといふ。遷座の時代詳ならす。原田氏・臼杵氏より神領寄附の証文、猿楽の笛・天冠仮面五箇社に蔵む。縁起一巻あり。古野元軌撰へり。境内に陰若社・稲荷社あり。

筑前国続風土記拾遺 巻之四十三 志摩郡 上 今津村

境内には改装工事中ということもあり、石碑や大石などが一カ所に集められています。

そして狛犬も台座と分解されて、ちょこんと置かれていました。

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