お茶会からコンサートまで対応できる日本庭園
庭を1周周って戻ってきました。休憩スペースにもなっている邸内に入ります。
この額縁は外交官として活躍した金子堅太郎の揮毫。
素晴らしい庭を眺めながらお茶ができます、抹茶、さらにぜんざいまで!
物販コーナーもあり、さらになぜか御朱印帖がw
こちらが大広間、貝島家の時代に作られたものです。武家の文化を背景とした格式を重んじた書院造りです。しかし実際の黒田家の時代の建物は52万石の別邸とは思えないほど簡素なものだったとか。
立派な書と鬼瓦まであります。昔使われていたものでしょうか?
同様に掛け軸やお花なども。生け花の教室とかもやっていそうですね。こちらの大広間は誰でも安価で貸りることができます。
座って庭を眺めた視点。
北側の池はこのような広がり。
庭を眺めながらの一服は最高のひと時ですね。お殿様もよく休憩に使っていたそうです。
もしかして一匹ずつ名前があるのですかね?すごい。
大広間からのびた月見台。すなわち満月の夜にお月見ができます。
お由良騒動の舞台になった友泉亭
友泉亭は周辺に建物がなく見晴らしの良い別邸であった為、城内では都合の悪い会談や他藩からの機密情報を持った使者の応対にも使われていました。
十一代藩主・黒田長溥の時代に、薩摩藩で跡継ぎをめぐってお家騒動が起こりました。黒田長溥は島津家の出身で養子で黒田家に入った方です。したがって当然のように実家の騒動に巻き込まれてしまいました。
当時の薩摩藩主・島津斉興の使者が、黒田藩でかくまっていた脱藩者を捕縛する為に来た際は、ここ友泉亭で会談が行われました。
使者と長溥の間で脱藩者をめぐり「返せ」『返さぬ』の押し問答になり、しびれを切らした使者が
「薩摩武士は一度言い出したら後へはひきません!お返しください!!」
と声を荒げると、さらに長溥は激高して
『その方が薩摩武士ならわしも薩摩武士じゃ、返さんといったら絶対に返さん!!!』
と切り返し、使者はハッとして非礼を詫びて退散したとか。この会談は後に家臣の間で語り草になったそうです。※セリフ部分、実際はおそらく薩摩弁です。