秀吉の愛犬が宿場の由来になった交通の要衝
熊本からの帰路の途中で、旧坊津街道(薩摩街道)の石碑をみつけました。長崎街道から分岐し、松崎・府中・羽犬塚の筑後3宿を通り、さらに肥後を経て薩摩の坊津へ繋がる街道ですね。
そして隣には尻軽俳句男こと、種田山頭火の句碑が。この人、本当に色々な所に顔を出しているなぁ。
街道は現在、大きな国道になっているので交通量も多く、宿場と言われないと気付かない雰囲気です。
国道沿いに立っていた、ものすごくザックリした道案内。
羽犬塚小学校には久留米藩の直営の施設「御茶屋」が設けられていました。御茶屋は大名が遊猟・領国内巡覧などのとき休泊する本陣のことですね。
関係者以外立ち入り禁止になっていたので、外側から撮影。
行程に生えている大木は、御茶屋があった当時からあったそうです。確かに大きな気が何本か生えています。
天下人秀吉と羽犬
そしてこちらが、小学校前に建てられた羽犬塚の像です。
大軍を率いて島津征伐に訪れた羽柴(豊臣)秀吉は、敏捷で羽根が生えたようによく跳ぶ愛犬を連れていましたが、当地に差し掛かったときに、敵の矢にあたり死んでしまいました。
秀吉はこの愛犬を弔らう為に、この地に塚を作りました。そしていつの頃からか、羽根の生えた犬の塚という意味で「羽犬塚」と呼ばれるようになったそうです。
地名の由来となった犬の塚は、現在も宗岳寺に残っています。