歴代日出藩主の崇敬を集めた若宮八幡
天気が良かったので、ちょっと日出若宮八幡神社に行ってきました。
その歴史は古く、959年に建立。1196年には豊後大友氏の初代当主・大友能直が、新たに社殿を築造しました。しかし、大友氏滅亡後にキリシタンであった毛利兵橘が日出代官として統治すると、ことごとく社殿を破壊。御神体は海に捨てられるなど、受難の時代もありました。
1602年に日出藩初代藩主・木下延俊が入ると、神社は再建。その後も歴代藩主の崇敬を受けました。
正面の鳥居をくぐり、石段を上ると重量感がある「若宮八幡社楼門」が現れます。1703年、3代藩主・俊長が寄進したものです。一層の左右に左大臣と右大臣を控える間があり、外回りは課長の彫刻が配されています。
境内にある建物の多くは、歴代藩主が寄進したものです。いかに木下氏から手厚く保護されていたかが、うかがえます。末社として愛宕神社がありますが、ここの鳥居は初代藩主・木下延俊が奉納。ただし、刻まれた文字は「木下右衛門太夫豊冨朝臣延俊」と、豊冨となっています。これは豊臣氏が滅びて間もない時代であったため、徳川家に配慮したものだと考えられています。