市唯一の武家屋敷
長崎市南西にある深堀武家屋敷に行ってきました。
市中心部は幕府直轄の天領であったため、城下町はありませんが、
野母崎半島に位置する深堀町は、天領ではなく市内で唯一武家屋敷があったところです。
上総国(千葉県)の三浦仲光が1221年に承久の乱で活躍した褒美にこの地を拝領し、
姓と土地の名を深堀と改名したのが、深堀のはじまりです。
1592年には鍋島直茂に従い朝鮮に出陣。その後、鍋島性を賜り、明治維新までまで子孫代々家老職を務めました。石高は6000石。長崎から近いことから佐賀藩の長崎警護を現場指揮していました。
城下町の入口は東屋敷(三番家老樋口家)、中屋敷(筆頭家老深堀家)、西屋敷(二番家老田代家)などがありました。入口から家老屋敷、陣屋跡を経て、深堀鍋島家の菩提寺を目指しました。
城下入口に家老屋敷があり、奥に進むと中級、下級武士の屋敷が建ち並び、一番奥に陣屋がありました。
領主の居城である陣屋の近くに下級武士が控えていたというのは、面白いですね。10分ほど歩くと陣屋跡に到着しました。
次は深堀鍋島家の菩提寺に向かいました。10分ほど歩くと到着。途中に五官の墓がありました。
この墓は明人であった五官呉公の墓とされています。
五官呉公(1637年没)は、この墓地付近の土地を買い、没後祠堂料として寄付したそうです。
かつてこの辺りを唐人町と呼んでいたとか。
このお寺には、深堀鍋島家の代々の墓所です。そのソバに長崎喧嘩に関わった深堀家家臣21人の墓もあります。長崎喧嘩の内容については近いうちにご紹介したいと思います。
ゆっくり見て回りましたが所要時間は1時間ほど。深堀神社と城下町入口から800mほど離れた円成寺にも足を延ばし、大満足で散策を終えました。