伊東氏5万1千石の城下町
天気が良かったので、ちょっと飫肥城下町に行ってきました。
飫肥は日南市中央部にある地区で、1588年に豊臣秀吉により伊東祐兵が入封して以来、1871年の廃藩置県まで14代にわたって伊東氏が飫肥藩主として、この地を治めました。関ヶ原の合戦では西軍に与しそうになったそうで、危なかったですね、、、
まずは飫肥城に向かいます。飫肥城は戦国初期に土持氏により築城され、以降、日向の伊東氏と薩摩の島津氏の間で、壮絶な争奪戦が繰り広げられました。伊東氏は一時、島津氏に飫肥城を奪われますが、秀吉の九州平定の際に先導役となり活躍し、島津氏が降伏した後に飫肥城主に返り咲きました。
廃城令により1973年に城内の建物は全て解体されますが、大手門は1978年に樹齢100年の飫肥杉を使用して復元されました。
大手門の復元工事の際に、1713年の碑文が発見されました。当時の普請奉行や大工などの名前が刻まれており、1713年頃に修復工事を行ったと思われます。飫肥城は度々、地震などにより被災しており、何度も再建されています。
石垣は当時の姿をとどめています。
城跡には飫肥城歴史資料館があり、伊東氏にまつわる甲冑、武具、古文書などが展示・保管されています。
旧本丸跡に向かいます。1662年、1680年、1684年の三度の大地震により、地割れが発生。このため1693年に現在の飫肥小学校グラウンドがある場所に本丸が移されました。
筑後の立花氏も関ヶ原の戦いの後、旧領復帰を果たしますが、伊東氏も一端、日向の国を追われて、再び戻ってこれたわけですから、見事ですよね。伊東氏についてもっと深く調べたい気持ちになりました。