寺町に立つ桃山時代の山門
吉祥寺にやってきました。吉祥寺は、天龍山を山号とする曹洞宗の禅寺で、北九州市にある吉祥寺の末寺です。
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「福岡寺院探訪」では、こちらのお寺の山門は相当な年代物だと書かれています。しかし、かなり新しく見えますね、何か補修が施されたのかもしれません。
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筑前国続風土記拾遺にも詳細な記述が載っています。
吉祥寺
筑前國続風土記拾遺 巻之二 浪人町
天龍山と号す。禅宗洞家、遠賀郡若松村吉祥寺の末なり。 開山を明峯問哲と云。梶原十郎兵衛景尚(初官蔵、致仕の後休也と号す。) 地を請ひて此寺を開基し、其父官入か冥福を助く、(官入墓は若松吉祥寺に在。寛永元年落成し若松の寺号を以て吉祥寺と号す。) 元禄九年三世知孝に寺後の地を賜ハりし吏人の證文あり。
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山門横に何か石碑が立っているのですが、しかし達筆すぎてよめませんでした。
吉祥寺 本堂
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江戸時代に福岡藩士の梶原十郎兵衛景尚が、父親である梶原景次の冥福のため明峯門哲を開山とし創建したと伝えられています。
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こちらは小型のお堂?でしょうか。神様なのか仏様なのかも分かりませんでした。
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福岡藩では川沿いにお寺が意図的に集められていますが、こちらの地区も周辺はお寺ばかりの寺町です。同様に、博多区の祇園周辺にもお寺が意図的に集められています。
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実は非常時に藩士を詰めて、城下町を敵から防衛できるようにする工夫なのだそうです。寺院は壁が高く、さらに墓石は弾除けになると考えられていたそうです。
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最後に山門を正面から。寺町を闊歩するのは色々な発見があって面白いですね。