郷土史の大家・貝原益軒が眠る寺院

金龍寺へやってきました。西新出身の自分にとっては、地元の大きなお寺といった認識です。

実は以前にも貝原益軒について取り上げた際に訪れています。こちらのお寺は郷土史の大家・益軒先生のお墓があるお寺です。

益軒先生と縁のあるお寺なので、当然筑前国続風土記では大きく取り上げられており、また、筑前国続風土記拾遺では、何と五頁に渡って特集されています。

明治通り沿いに大きな寺名の入った石碑が目につきます。お寺に入った事はなくても、この石碑に見覚えがある方は多いでしょう。

では、門をくぐって中へ入りましょう。

金龍寺の仁王像

明治通り沿いにあるこちら門は、実は山門ではなく仁王門と呼ばれています。その名の通り、迫力満点のお仁王様がいらっしゃいます。正式な山門は南側の、旧唐津街道沿いにあります。

阿!

吽!!仁王像は外向きに建てられるのが普通です。しかし金龍寺の仁王像は、何故か境内の方を向いて立てられています。

金龍寺は、曹洞宗で山号を耕雲山といいます。実は西新ではなく、永正5年(1508)に怡土郡高祖村に高祖城主原田弘種が創建しました。

そして原田氏が豊臣秀吉に改易された後、寺は荒れてしまい、みかねた福岡藩士高橋伊豆が城下荒戸山に移転させています。

さらに、二代藩主黒田忠之の時に寺領を与えられて、現在地に移りました。黒田騒動で暴君の印象が強い忠之公ですが、後年は寺社仏閣を手厚く保護しています。

境内はかなり広く、墓所には冒頭で触れた貝原益軒の他、黒田二十四騎に数えられる武将が3名眠っています。

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