本能寺の変に巻き込まれた博多の豪商
博多商人として知られる神屋宗湛は、貿易商を生業にした家の六代目に生まれました。
博多の街では、島井宗室・大賀宗九とともに「博多三傑」と呼ばれる豪商です。
現在、奈良屋町にあるかつての屋敷跡には豊臣秀吉を祭る豊国神社が建立されています。
実は宗湛は秀吉から「筑紫の坊主」と呼ばれて大変重用されて栄華を極めました。
その結果、恩義を感じて秀吉の死後も邸内に秀吉の霊を祭っていたそうです。
また、秀吉の前には織田信長にも謁見して、本能寺の変に巻き込まれたりしています。その際に信長が愛蔵していた牧谿の水墨画を、ちゃっかり持ち出しているのは流石です。
さらに黒田官兵衛とも茶の湯を通じて交流があり、黒田長政が筑前に入府すると、宗湛は黒田氏の御用商人を務めました。
その後、忠之から家宝を召し上げられたり、秀吉の側近だった事が災いして、幕府からは冷遇されるなど不遇の晩年を過ごした後に病死しています。
しかし、宗湛が残した『宗湛日記』という茶会記は、その後の秀吉研究における貴重な資料になりました。