亀門学を開いた亀井一族が眠る寺院

浄満寺へやってきました。こちらのお寺は、浄土真宗本願寺派の寺です。

さて、この立派な山門は一間一戸・切妻造・ 本瓦葺の四脚門。江戸時代初期の姿をとどめた建造物で、大変貴重な文化財です。

ところで、ここ西町は江戸時代は下級武士の居住区で、藩士も多数出入りしていました。その結果、筑前国続風土記拾遺にも取り上げられています。

浄満寺
地形九番町に在。真宗西徳栄寺の末也。開基の僧を浄心といふ。寛永十二年正月甘日良如上人より寺号木佛を許さる。此寺初ハ那珂郡春吉村に在。承應三年三世剣順といふ僧福岡大工町に寺を引けり。寛文十一年同僧また今の所に移れり。此時寺地賜へる吏人の證文あり。

筑前国続風土記拾遺 巻之二 西町

以前にも記事を書きましたが、こちらのお寺は亀井南冥亀井昭陽親子をはじめ、亀井一族のお墓がある事で知られています。

山門横には福岡市の案内板も設置されていました。

浄満寺 本堂

さて、境内に入ってみましょう。いきなり正面に本堂が現れます。

東側を向くと敷地が続いていますが、実は以前は幼稚園がお寺の中にあったのですが閉園したようです。

では、亀井一族のお寺に向かいましょう。お墓のあるエリアは山門を入って西側です。

何やら建物があるけど、しかし何の建物なのかわかりませんでした。

こちらがお寺の西側に広がっているお墓エリアです。ただ、案内板などがないので、どの辺かわかりませんね。

昔懐かしいポンプ式の井戸がありました。しかし、横に水道もあるので使う人いるのかな?

福岡県文化財 亀井一族十三墓

墓地エリアをひたすら奥へすすむとありました。こちらが亀井一族のお墓です。

真ん中に一番大きな墓石で鎮座されているのが、亀井南冥先生のお墓ですね。

続いて、左斜め後ろには漢詩人、詩書家、文人画家として活躍した亀井少琹先生のお墓です。貝原東軒、野村望東尼、二川玉篠、高場乱と並んで、筑前五女と呼ばれました。

亀井一族のお墓は沢山あります。その為、案内板が横に設置されていました。

亀門学のもう一人の看板、昭陽先生は右から二番目にありました。南冥先生と比べると、お墓はやや小ぶりですね。

しかし、お墓が福岡県指定文化財ってすごいですね。

ただ、十三もあるお墓のうち、お名前を存じ上げているのが3~4名だったので、もっと勉強が必要だと痛感しました。

最後にご紹介するこちらは、明治になってから贈られた従四位の記念碑です。

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